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“縮む” 現代。
こころとからだを“延ばす” 装置。
『いのちの循環 座談会』

#座談会

2025年大阪・関西万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」。大阪・関西万博「Co-Design Challenge」プログラムの一つに選定されたこの「想うベンチ」プロジェクトのサブタイトルは、「いのちの循環」。たとえば、ひとのいのち、まちのいのち、自然のいのち……いのちが循環するってどういうことだろう? デザイナー、都市デザイナー、大阪府林学職、宗教学者の4名に語っていただきました。

Graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。プロジェクトからプログラムへ、ムーブメントからカルチャーへ育むデザインを目指している。grafでは代表を務めるほか、コンセプターとしてデザインやディレクションを行い、あらゆるデザイン領域の視点から社会を翻訳するようなアウトプットを行う。
服部
大阪は「水の都」といわれますが、僕の事務所もこの座談会会場と同じ土佐堀川沿いにあります。走り去る自動車ではなく、動きゆく自然を眺められる場所でとにかく仕事をしたくて、それで中之島の川沿いで物件を探しました。自然の時間が空間や思考を大きく左右すると思ったんです。
杉田
東京ももともと水都だったんですよね。現在ではまち全体があまり水を感じない空間になっていますが。それでも東京の東側や、今もここで会話していると、水の匂いがします。水があるまちって気が流れている感じがして、心地いい。川に付随した生物も生息しているし、すごく重要な存在だと思います。
薬師寺
川を囲い込むのは、人間が社会生活で培ってきた知恵の一つです。でも、たとえば河川の氾濫って、それによって新しい環境ができて、適応した生物が住めるようになる自然の仕掛けでもある。そして、川は生物の移動手段でもある。山・川・海はつながっていて、それぞれが役割を担って生態系をかたちづくっています。
そういえば、「水の都」というわりに、大阪のひとって海にあまり想いを馳せませんよね。海が暮らしの一部にあるという感覚を持ちにくい。大阪湾が基本的に砂浜ではなく岸壁だからでしょうか。
薬師寺
大阪湾はじつは、スナメリもイルカも小型のクジラもいたりする豊かな海なんです。でも、海岸のほとんどが立ち入り禁止の工業地帯なので、暮らしのなかで海に関心を寄せにくい。紀伊半島の裏側の三重県桑名から伊勢あたりまでは砂浜が続いていて、生活者にとって海が身近な存在です。物理的な環境の違いって大きいと思います。これって生態系も同じで、分断されると交わりがなくなる。そして、多様性が狭まり、次第にそのなかで衰退していってしまう。つながっているからこそ、広い生態系が守られるんです。
暮らしって、今ここにいる人間が自分たちを中心に考えがちですが、そもそも人間も生態系の一つのパーツなんですよね。
杉田
分断は、時間軸にしてもそうかも。暮らしの話をするときに意識が向くのは「今ここ」ばかりで、「死」がすごく遠く感じるんです。都市部だとかつてお墓だったところにビルが建ったりもしていて、暮らしのなかで「死」に触れる機会がほんとうに乏しい。
高度経済成長期、ニュータウンを中心に多くの団地が建てられましたが、あの時代につくられた団地って、棺桶を縦にしないとエレベーターに乗せられないんですよ。人間が暮らす以上「死」は必然の事象なのに、そのことが勘定に入れられていない住居が大量生産されたんです。
服部
人口6,000万人くらいまでは日本でも平家暮らしができたけれど、人口が8,000万人9,000万人と急増して、そしてほぼ同時並行でLDKという間取りの概念が一般化するにつれて、フロアを積み上げないと暮らせなくなったんでしょうね。
杉田
そういう意味でも、ニュータウンって当時の「今ここ」のためにつくられた時代の遺産だと思います。「死」はもちろん、何世代にもわたって住み継ぐことも、基本的には想定されなかった。
一般財団法人 大阪府みどり公社職員。「災害に強い森づくりの推進」「都市におけるみどりづくりの推進」「生物多様性の保全」などに取り組む大阪府の林学職
薬師寺
都市以前の農村の時代は、まず最優先で田んぼを拓いて、田んぼにできないところを畑にして、畑にできない傾斜地を果樹園にして、生産性はないけれど住めるところは家にして……と、暮らしのなかで集落が形づくられてきました。農業や林業はみんなが受け継いでいかないと生産行為ができない。必然的に先祖から継いだものを糧にして暮らしを紡いできた。都市の時代になると、隣のひとがどんな仕事をしていても、自分の暮らしにはさほど関係ない。むしろビジネスでは、いかに他者と違うことをするかに目を向けることが多いでしょう。そうなると、地域をどうしていくのか人によって考えは異なるし、家を建てるにも、自分の子どもが住み継いでいく可能性は低いというのが実状であり、その地域に建てる必然性をいまいち感じられない。子どもたちのために、次の世代のために、という気持ちはあっても、どういうアクションをとればいいのか手をこまねているのが、実際のところだと思います。
「暮らしの都市化」の手前に「マインドの都市化」というものがあって、今やどんな田舎だろうとマインドの都市化が進んでいますよね。他者の価値観にまでは入り込まない「都市」では、基本的には他者に迷惑をかけない限りは個人の自由が最大限認められる。その代わり、迷惑が生じたときには一斉に当事者をバッシングする。でも、先ほどの話にもあったように、そういった分断が長く続くと、端的に生きづらくなります。孤立していたら、自然や他者とつながって豊かに暮らすことは困難の一途を辿る。
杉田
マインドの都市化、なるほど! 都市デザインの世界でも、今はプラネタリー・アーバニゼーションの時代といわれています。農村地域と地方と都市がシームレスになり、地球的な都市化、都市が地球全体を覆う時代。従来の都市はネイチャーと対峙する必要悪として位置付けられていましたが、都市そのものを「森」と捉えてネイチャーにポジティブな影響をもたらすことはできないか、という動きもあります。
服部
「森」ってまさに多種多様なものを内包する存在ですね。昔、手塚治虫が描いてくれたような、みんなが同じように納得感を得られる近未来像を、今の時代は誰も描けないという嘆きを耳にすることがありますが、それはもうしょうがない。だって、僕らの未来へのベクトルは一方向ではなくなったし、一人ひとりが異なるビジョンを持つようになったのだから。「わからない」という不安をエネルギーに、多面的で多様な価値観や未来像に出会いながら「この未来がいいんじゃないか」「この未来をつかみに行くぞ」と思考して選択する胆力が、僕はこれからの時代に重要なんじゃないかと感じています。
都市体験のデザインスタジオ・一般社団法人「for Cities」共同代表。都市・建築・まちづくり分野における執筆や編集、リサーチほか、文化芸術分野でのキュレーションや新規プログラムのプロデュース、ディレクション、ファシリテーションなど、幅広く表現活動をおこなう。
杉田
私も、人間が人間以外の多種多様な存在(マルチスピーシーズ)とどのように絡み合い、人間が一種の動物としてどう振る舞うか……そういった文脈で、都市における人々の体験や公共空間のデザインを模索しているところです。
服部
今、緑豊かに見える山が、かつてはいわゆるハゲ山と呼ばれる里山だったケースが少なくありません。じつはそのハゲ山こそが、人間と森が絡み合って循環していた状態だった。ではなぜハゲ山が緑豊かな山に変貌したかというと、その一端はハウスメーカーによる植樹です。農村時代に日々の暮らしで必要だった燃料としてではなく、都市の家を建てるために木を植えた。結果的に人口減やコスト高の問題で伐採せずにそのままの状態になっていて、くしくもCO2の課題とも利害が一致したからよかったものの、これって、デザインのために素材を消費しているのと同等だと思うんです。そうではなくて、素材のためにデザインをする行為を、「森」の一存在として僕らはやっていかないといけないのではないかと。
薬師寺
農村時代は、そこで自分たちが何をどのように生産して暮らしをまかなうかが、その集落において重要な観点でした。都市化が進むにつれて、よその土地から原料を持ってきたり、労働行為は都市部に分離されたりして、暮らしやすさ・心地よさよりも生産性・効率性が重視される風潮になった。生産性・効率性に偏重しすぎると困ったことになるね、と揺り戻しが起こっているのがちょうど今だと思います。
コロナ禍によって社会のスピードが急に落ちた。世の中全体が今まで猛スピードで駆けていたことを省みて、⾒落としてきたものの⼤きさに気づいた⾯もあります。また、煩わしさや排他性が忌避されて崩れてきた中間共同体も、やっぱり分断・孤⽴から脱するためには必要と認められて、もう⼀度⽴ち上げようとする動きがあちこちで起こっています。
杉田
私が住んでいる地域には、都市なんだけども田舎のようなコミュニティがあって、それに惹かれて引っ越したと言っても過言ではありません。都市に住みながらにして田舎的なマインドセットや新しいコモンズのあり方を考えるきっかけになっていて、すごく心地いい。先日、別の地域ですが、長屋住まいの友人の家を訪れたら、近所の男の子が座敷童のように本を読んでいて、数時間経って親の足音が聞こえたらサーっと帰っていった姿が印象的でした。こういう昔ながらの密な近所づきあいや人と人との距離が近いコミュニティは、大都会でも残っているんです。
中間共同体や共有地を工夫してつくっていく機運のなかで、プラットフォームづくりや縁側づくりをされているひともいます。そういう意味では、私はベンチも一つの共有地だと思います。みんなが腰掛ける、みんなが何か交換したりできるようなものを社会のなかに設けていくことが「つながり」の醸成になる。そして、「つながり」が暮らしの豊かさをつくると感じているひとは、きっと少なくありません。
服部
それでいうと、ベンチのないバス停に近所のひとが誰かのために置いている椅子、バラバラの椅子が並んでいたりとか、そこにおばあちゃんが勝手にクッションをつけたりとか、あの状態がすごく好きなんです。完全にデザインされたものって手の入れようがなくて経年劣化でそのうち廃棄されてしまいますが、余白があるとみんなが勝手に手を加えたくなって、有機的な存在に育っていく。
杉田
カナダに住んでいたとき、パブリックベンチに付けられたプレートに亡くなった方の名前が刻まれていたりして、きっと遺族の方が遺産の一部でまちに寄付したものだと思うんですが、すごく素敵なシステムですよね。
浄⼟真宗本願寺派如来寺住職、相愛⼤学学⻑・⼈⽂学部教授。寺院住職と⼤学学⻑を務め、さらにはお寺の裏にある⼀軒家で地域の認知症⾼齢者のためにグループホームを運営するなど、多彩な活動を展開する。
薬師寺
「つながり」といえば、林業は3代続いてやっと成り立つといわれています。1代目が植えて、2代目3代目が一生懸命育てて、50〜70年経った頃に3代目がようやく収穫(伐採)する。植えるひとは自分に見返りがほしいから植えるわけではなくて、次の世代のために役立てたいと想いをもって続けてきた。女の子が生まれたときに桐や杉を植えて、嫁入りの時機がきたら伐採して現金に換えたり箪笥にしたりしていたという話が、昔はよくあったとも聞きます。自分のためではなく次の世代のためにというのが、林業の文化だったんじゃないかなと思います。
服部
何がきっかけで「次の世代のために」の意識が薄らいだんでしょうね。林業に限ったことではないと思いますが。
私たちが⽬の前のことで⼿⼀杯になったからじゃないでしょうか。せっかく猛スピードに急ブレーキをかけて⽴ち⽌まったのだから、“縮んだ時間”に⽣きずに、もう少し⼿持ちの時間を“延ばす”ことに⼼を注ぎたいですね。時間を“延ばす”ことが社会の成熟につながると思うんです。外部に流れている時間の話ではなくて、⼼と体に流れている時間。⻑い時間軸のなかに⾝を置いて⽣きていると、ある程度のデコボコは気にならない。反対に“縮んだ時間”に浸かって⽣きていると、ちょっとしたニキビもイライラするし、⾟抱できない。だから、いかに“延ばす”か。⼼と体に流れている時間が“縮む”装置は、どんどん増えています。コンビニでしばらく待たされるとイラッとするでしょう。コンビニは「待たせない」というシステムを発達させてきて、そこで待たされるからイライラするんです。駅の券売機で、前の⼈がモタモタしていたらイラッとするのは、スイスイ進むのを前提としているから。そういった“縮む”装置は⼭ほどあるし、油断するとすぐ呑まれてしまう。“延ばす”が現代⼈のテーマです。
杉田
もしかして……ここはベンチの出番ではないですか。
ベンチが“延ばす”装置として機能したら素晴らしいと思います。“延ばす”装置のひとつは何と⾔っても、⽂化です。⽂化って不合理じゃないですか。合理的なものは時間を“縮める”、不合理なものは“延ばす”。また、⽊を植えてくれたお⽗さんやおじいちゃんを想うのも、これから⽣まれる⼦どものために⽊を植えるのも、“延ばす”⾏為。⾒えない世界を想像することも、“延ばす”アクションなんだと思います。