— わたしの身近な家庭料理にも、いのちを作る仕事があるのか
母の代わりに台所に立つようになった当初、朝早くから晩まで働く父に美味しいものを食べてもらいたいという気持ちに対して、実際はうまくいかない自分に対しての小さなストレスを常に感じていた。
簡単なものしか作れず、罪悪感が残る日。
仕事から帰り、本当はもう料理をする余力がない日。
母のように美味しくできず、自分の頼りなさを痛感する日。
マイナスな気持ちの日々が積み重なり、いつしか誰かのためのごはん作りが少し苦しくなっていた。
そんな時に、土井善晴先生の「一汁一菜でよいという提案」という本に出会い、心救われる。その本の中には “家庭料理はいのちを作る仕事” とあった。
わたしの身近にある家庭料理もそうなのだろうか。大阪のお母さんたちに話を聞いてみることにした。

一汁一菜でよいという提案
土井善晴 / 著(新潮文庫刊)
一汁一菜とは「ご飯」「味噌汁」「漬物・おかず」から成る、基本的な食事の形のこと。この本は一汁一菜を推奨しているわけではなく、食事をつくる・食べることの考え方、生き方そのものについて土井先生の優しい提案が載せられている。わたしと同じく料理づくりが少し苦に感じたことがある人へ、よかったら読んでみてほしい。特に読み返してしまうお気に入りのページはP.49とP.175-176。
『白菜を缶詰のサバと炊いたやつ』わたしのおばあちゃんより
― わたしのお母さんを含め4兄弟を育てた祖母。料理についてのモヤモヤ悩み。ばあちゃんにもあったのかな?
一緒におやつを食べようと、シュークリームをお土産に祖母の家へ。改めてこんな話をするのは今回が初めて。少し照れくささを感じながら、補聴器をいれている祖母にゆっくり大きめの声で話を聞いていく。
まず、お母さんたちが子どもだった頃はごはん作りってどうしてたの?と聞くと「なーんも覚えてない」と繰り返す。
しんどいなって正直思うことはなかったの?と重ねて聞いても「ないな~。パートで働きながらだったし、料理は簡単なものばかりよ。商店街で天ぷらを買ったりもしてたよ。ばあちゃん天ぷら好きやから」と。
― 当時はなにをよく作ってた?
煮物が多かったと話してくれた。煮物料理といえば、美味しくいただくために味を染み込ませる手間や時間のかかる印象がある。わたしの中の「簡単なもの」は時短で美味しいごはんで、煮物は簡単という種類とはかけ離れていた。昔と比べて今はもっと手軽に美味しく食べられる種類や手段が増えたことも、考え方の違いに関係しているのかな。
よく作っていたのは、里芋や大根をイカと炊いたやつ、サバの味噌煮、イワシとショウガを炊いたやつなど。中でも興味があったのは「白菜を缶詰のサバと炊いたやつ」。
なにそれ美味しそうと深堀したら、私の母が子どもだった頃にもよく作っていたらしい。缶詰は水煮でも味のついているものでもお構いなく。「味薄かったらお醤油ちょっと足したらいいよ」と教えてくれた。うちに鯖缶が眠っていたな。今度早速作ってみよう。
「白菜を缶詰のサバと炊いたやつ」を作ってみた!
◆材料(2人分の副菜に)
白菜:1/8個くらい(適当な量をざく切り)
鯖の味噌煮缶:1缶(汁も全部)
たまたまあった生姜:1gくらい。細切りにして投入してみる
醤油:小さじ1
料理酒:大さじ3


順番もなく全部一気にフライパンに投入!
蓋をして10分ほど弱火でコトコト。白菜から水分がでてとろっとしてきたら出来上がりということにした。


平日の仕事終わり、計15分くらいで完成。ご飯のお供にもピッタリなおかず。時短でおいしくて幸せ。使い道を見つけられず、我が家の食糧庫に溜まりがちだったサバ缶。定番メニューになりそう。
家族のためのごはん作りが、しんどいと思ったことはないと話すばあちゃんの答えは意外ではなかった。もう少しで94歳になる。少し前まではどこにでも自転車で出かけていたパワフルばあちゃん。人に迷惑をかけることをとにかく嫌い、頑固なところもあるばあちゃん。しんどいなんて考える時間もないくらい、当時は家族のためにただ奮闘していたのかなと思い巡らせる。
『夏休みの思い出 ゴーヤチャンプル』幼なじみのおかあさんより
— 水泳教室が一緒だったことから、家族ぐるみで仲のいい幼なじみのおかあさん。大人になった今、改めて当時の話を聞いてみたい。
子どもたちが小さいころ、私は専業主婦。料理が苦手な私は献立を考えるだけで大変で。
家族それぞれの好みは分かりつつも毎日同じでは飽きるので、肉や魚、野菜類をいかに食べてもらうかを意識していました。その中でも夕食が前日の残り物になったり、時にはピザで済ませたり。適当に、私が楽になる方法を優先してましたよ。
子どもたちも結婚して、今はお父さんと二人暮らし。主人は定年退職しているので夕食は作ってくれてます。肉、野菜炒めとお味噌汁が主です。私が仕事から帰ってきたら、出来ています。ありがたいことです。味付けは濃いめです。減塩が必要な年齢になってきてますがね。
― 夏休みにごちそうしてくださったゴーヤチャンプルが美味しくて。大人になった今でも、夏になると食べたくなる。
実家ではゴーヤをお浸しにしたりして食べてましたが、実家からゴーヤが送られてきた時に、子どもたちも食べれる方法は何かないかと思ってたら、スーパーにゴーヤチャンプルのレシピがあって。お肉、豆腐、野菜、玉子とバランスよく摂取出来るなぁと思ってよく作っていました。
「思い出のゴーヤチャンプル」レシピを教えてもらいました!
◆材料(4人分くらいのおかず量になりました)
ゴーヤ:1本
豚バラ肉:150gくらい
卵:2個
木綿豆腐:200gくらい
醤油・みりん・料理酒:各大さじ1くらい(適量)
顆粒だし(適量)


ゴーヤは半分に切って、中の白い綿の部分をスプーンでかきだします。
白い部分に苦味があるみたいです。
そのあと、5ミリくらいの厚さにカットします。

水を鍋に入れて沸騰させ、カットしたゴーヤを湯がきます。
色が変わったくらいでザルにあげます。
お豆腐は1cmくらいにカットしてザルで水切り。
豚バラ肉は適当にカットし、卵も混ぜておきます。
油を熱して豚バラ肉、ゴーヤを炒め、豆腐を入れて顆粒だし、醤油、みりん、料理酒で味付け。
最後に卵を流し込み、かき混ぜて出来上がりです。


この記事を書いてるのは、春の暖かさが待ち遠しかった3月の中旬。
そういえばゴーヤって今の時期も売ってるんだろうか。ドキドキしながらスーパーへ買い出しに行ったが、無事に手に入れることができた。
今まで自分が作ってきたゴーヤチャンプルよりも特別美味しく感じる。心身ともに元気がでる。白米もついおかわりしてしまった。今年の夏にまた作ろう。
“適当に、私が楽になる方法を優先してた”という考え方が、あっそっかと目から鱗が落ちるような、自分になかったものだった。慌ただしく過ごしがちな日々の中でも、出来るだけ穏やかに過ごすための選択肢のひとつだなと感じる。毎日のごはんがご馳走や特別なものである必要はない。心と時間に余裕がある日には、わたし自身を含めた家族の好物を思いっきり作りたい。嬉しい新発見になった。なっちゃんママ、ありがとうございました。
『レシピのない〆チャーハン』居酒屋のママより
— たまたま立ち寄った居酒屋さんの、〆チャーハンが忘れられない。
その日は、仕事を終えて最寄り駅からとぼとぼ帰っていて、女性おひとり様も大丈夫!という看板が目につき、ふらりと立ち寄った居酒屋さん。お店のママさんが程よい距離感で接してくださるおかげで、軽く飲んで帰ろうと思っていたのに、居心地がよくてつい〆まで食べてしまった。
最後に食べたチャーハンが忘れられない。休日の昼ごはんに作ってくれたお母さんのチャーハンにどこか似た、素朴でやさしい心まで染み渡る美味しさに、また食べに行きたくなった。
2回目の訪問。この日は雨が降っていた。店の戸をそっと開けると、雨で客足が少なかったのか少し驚いた様子だったが「いらっしゃい」と以前と同じ笑顔で迎えてくれたママさん。常連らしきお客さんが既にいて、話が弾んでいる様子だった。
奥のテーブル席に着き、まずはビールとおまかせの付きだしがついた「ちょい飲みセット」と、オススメ欄に載っていた馬刺しユッケをまず注文。
その際に「嫌いなものはない~?」とママさんが尋ねてくれたが、大丈夫と返事をした。前回も注文した際に同じように尋ねてくれたなと思い出す。

写真を撮る前につい飲んでしまった。
今回の付きだしは豚しゃぶのサラダと、ネギの入ったふわふわ卵焼き。
お腹もいい感じに溜まってきて、楽しみにしていた〆チャーハンを注文。
「にんにくは入れない方がいいよね」と尋ねてくれたが、明日は休日。入れてくださいと即答した私に「おっけ、おっけ」と笑いながら返事をして、早速調理を進めてくれた。

〆にちょうどいい量なのもありがたい。
今回のチャーハンは、以前よりもニンニク醤油が香るパンチの利いた味付けだった。あっという間にペロリ!ほんと美味しかったな~。ごちそうさまでした。
初めて店を訪れた日からずっと温かく記憶に残っていたのは、ママさんのごはんがどれも私の感じる家庭料理の安心感と似ていたからかも。
食べる相手の気分や体調に合わせたちょっとした工夫。お店にとってはひとつのサービスなのだけれど、このお店での経験は家庭料理に通ずる優しさを感じた。おかげでお腹だけでなく心まで満たされた。
お会計の際に「おひとりだったんですね、また来てあげて」と、常連らしいお客さんが話しかけてくれた。料理だけでなく、ママさんの人柄に魅了されたお客さんたちに愛されているお店なのだと改めて実感する。
「また来ます!美味しかったです。ごちそうさまでした」と話し、店を出た。
編集後記
「いのちをつくる仕事」を探し始めたこれまでの時間。問いと重ねるように台所に立つ自分の母を思い出していました。
いつものごはん、お祝いのごはん、本人は手抜きと話すごはんも、全部ぜんぶ美味しかった。
玄関で聞こえてくるコンロのカチカチ音。帰りが遅くなった日には、帰宅時間に合わせて作ったごはんを温めなおしてくれたよね。
きょうのごはんは何がいい?と悩む母に自分の好物ばかり言っても、献立に採用してくれたときは嬉しかったな。
家庭料理を通じて、当時は他愛もないと思っていた一つひとつには、きっと無意識に私への愛情がこもっていたこと、そのじんわりと温かい思い出は積み重なって、実は今のわたしの大きな支えになっていることに気づきました。
今回話を聞いた3名と、母から教えてもらった「家庭料理はいのちをつくる仕事」とは、料理をいただくことで物理的にいのちに繋がるだけでなく、自身の心の基盤となって安心や、時に自信を与えてくれるものだと。
自分なりの答えに辿りつきました。
料理をつくる。食べる。
日常の一部分ですが、家族とわたしが健やかに過ごせる時間にしたいです。
母がわたしにしてくれたように。
大阪府民ボランティアライター「想うライター」について
「想うライター」のメンバーは、大阪府に居住または通勤・通学している学生・社会人です。「想うベンチプロジェクト」のテーマ「いのちの循環」を軸に自分の興味・関心を起点にした企画を立て、プロの編集者のアドバイスやサポートを受けながら、取材・原稿制作を行っています。