なにわ伝統野菜に繋ぐ命  Vol.2 まちなかで「大阪黒菜」を育てる農家さんに会いに行く。

いのちのこと

文:マツイサヨコ(大阪府民ボランティアライター)

なにわ伝統野菜を探してまちを歩きまくった私(※「Vol.1なにわ伝統野菜を求めて、まちへ。」)。農家さんにも会いたいと思い参加したイベントで、大阪住吉区で農園を営む濵田さんに出会う。栽培されているのは、2年前になにわ伝統野菜として認定された「大阪黒菜」らしい。

いったい、大阪黒菜ってどんな野菜なのか。駒川商店街の中のお漬物屋さんで見かけたことがあるが、しっかりとした菜っ葉の漬物という感じだった。実際はどんな姿をしているのか。農園にぜひお邪魔したいと勇気を出してお声がけしたら、「毎日畑には居るからどうぞ」とありがたいお言葉。さっそく次の休日に行ってみた。

大阪のまちなかにある畑
トラクターで畑を耕す濵田さん
歩いて2~3分のところにある区役所&図書館

濵田さんの畑の周りには、マンションや、スーパーなどが立ち並ぶ。少し行くと区役所や図書館もある。学校もあり、住宅地としての環境が揃っている。そんな中にパッとあらわれる畑。菜の花の鮮やかな黄色に春を感じた。季節を感じる気持ちは昔も今も同じなのだろうか。

濵田さんの畑は、江戸時代から続けておられ、わかる範囲で4代目だとか。

昔は、このあたり一帯に畑が広がっていたそう。昭和30年頃から、畑はどんどん姿を消し、マンションや、スーパー、駐車場などが建ち並ぶようになった。そんな中、今も守り続けるのは、濵田さんただ一人。約4反の畑で、小松菜、なにわ伝統野菜の「大阪しろな」、「大阪黒菜」を中心に栽培している。

葉の先がちょっとギザギザの大阪黒菜
茎が白いのが特徴の大阪しろな

大阪黒菜は気候がおだやかで安定していることが重要。特に冬から春にかけての寒暖差が激しい時期は、栽培が難しい。気づくとあっという間に大きくなり、収穫のタイミングを逃してしまい「トウが立つ」ため、葉が固くなって、おいしさが損なわれるという。しかし、そんな葉っぱも一緒に耕して、次の肥料にしてしまうところに命の循環を感じた。

この土地は昔から比較的温暖で、大阪黒菜を育てるにはよい環境だったとのこと。種まきから収穫まで、長くても3ケ月、早ければ1ケ月で収穫を迎えるという。「まるで自分の子供の成長を見守っているようだ」と濵田さんは満面の笑顔で話してくれた。昔を思い出し、成長を楽しみながら大切に黒菜を育てている姿をみていると、私もとても温かな気持ちになった。

濱田さん曰く、野菜を育てるのに一番大事なのは「土」。肥料とのバランスと水はけのよい柔らかな土に仕上げることが、美味しい大阪黒菜を育てる秘訣とのこと。しっかりと柔らかな地面に根っこをはることで、大阪黒菜に栄養が行き渡るのだろう。みずみずしさとはりのあるつややかな葉っぱの秘密はここなのかもしれない。畑の片隅に植えられたゴツゴツしたいちじくの木をみても、水はけの良さを感じた。もう10年近くになるらしい。毎年新しい芽が生えて、いちじくがなるそう。旬の頃にまた伺いたい。

栄養をしっかり吸収する大阪黒菜の幾多にも分かれた
たくさんの根っこたち。生きる命を感じる
なんとも不気味な顔だが、美味しいいちじくが生るらしい

「とれたて野菜の美味しさこそが、畑を続ける楽しさのひとつ」。穏やかな笑顔でそう話す濵田さんが元気なのは、なにわ伝統野菜の大阪黒菜のおかげだという。与えた肥料の栄養と水を葉っぱのすみずみまで届くように……と心を込めて畑をつくる。

畑に整然とならぶ畝をみても、ほんとうに丁寧に作業されているのが分かる。濵田さんの優しい気持ちがあらわれている気がする。

濵田さんと大阪黒菜
整然とならぶ畝
すくすく育つ菜っ葉たち

昔は、大阪しろな、小松菜などの菜物だけではなく、天王寺蕪、田辺大根、人参など、旬の野菜を栽培されていた。この地域は、気候が安定し、なだらかな平地が広がり、水はけも良かった。市場も周辺にたくさんあって、新鮮な野菜をすぐに運べるという便利な場所だったのだろう。江戸時代に畑の賑わう様子がなんとなく目に浮かんだ。

「なにわ伝統野菜だから、とか考えながら作ってきたわけではない」という濵田さんの言葉にハッとした。昔から、季節にあう野菜を作り、生きてきた。その時期に並ぶ市場の野菜を自然と受入れながら、日本の四季を楽しんでいたのかもしれない。

旬の野菜は、栄養価も高く、美味しい。そんな旬のなにわ伝統野菜は、昔は「生きていくための糧」だった。今は受け継いでいく「伝統」となり、未来へとつなげる大切な存在なのだ。

昔は、畑の水やりも井戸から汲み上げた水を使い、種まきも手作業だったとのこと。今では、水やりも機械。バランスを考えた最新の種まき道具を使うことで、大変な間引き作業もいらないらしい。ご夫婦2人で出来る範囲で無理なく畑仕事をすること。これもまた4代続く畑を守る秘訣なのかもしれない。

後日、濵田さんの奥様にもお話を聞くことができた。「2人だけで畑を続けてきたとは思っていないのですよ」。周りの方々や大阪シロナや大阪黒菜など、畑に関わる様々な人のご縁でここまでやってこれたのだという。今年4月からはお孫さんが本格的に畑の手伝いをされるとのこと。これからも伝統を未来へ繋いでいってほしいと心から思った。

いつも笑顔で質問に答えてくださる濵田さん
濵田さんの畑のそばに菜の花が。きっとこれから菜の花を見るたびに、この畑に思いを馳せるのだろう。