ベンチというのは何気ない存在すぎて、あまり意識したことがなかった。でもこの記事(「あなたがここに座っている理由は?」― ベンチに座る人の想いを聞いてみた ― )を読んでからふつふつとベンチへの興味が湧いてきた。そういえば、思い返してみればベンチでの思い出は意外と多い。中学生の時は、公園のベンチで友達と”恋バナ”をたくさんしたし、初めてのアルバイトに受かったことが嬉しくて、すぐ近くのベンチに腰掛け、急いで母に電話をかけたこともあった。振り返ってみると、いろんな瞬間がベンチの上で過ぎていた。ベンチ、ベンチ…。そういえば、ベンチって、なんだろう。みんなはどんな時に、ベンチで過ごしているのだろう。私もベンチを探してまちを歩いてみることにした。
時刻は午前10時半頃。JR寺田町駅で電車を降りて、大阪のまちに出た。なんとなく行ってみたいな、と選んだこのまち。いつもよりゆったりとしたペースで散策すると、いろんな景色が目に入る。幼稚園の子どもたちが公園で楽しそうにはしゃぎ、道路工事の人が真剣な表情で作業して、自転車に乗った女性がスーパーへ買い物に行く。あまり馴染のない街だが、平日午前のやわらかい空気感に、どことなく安心した。

もうすぐ11時半という頃、喫茶店で早めの昼休憩をする。定食を食べ、食後のドリンクをお願いした時、店主が声をかけてくれた。常連さんらしき人が他に二人いた店内で、話しかけてくれたことが嬉しい。少し会話をして、店を出る。その後、あてもなく歩いていると、広い公園が見えてきた。桃谷公園というそこには予想以上にベンチがあり、利用者も多い。2月後半にしては暖かく、陽の光がやわらかい。寝転んだりおしゃべりしたり、ベンチで過ごす人々が心地よさそうだ。その中で、二人の女性に声をかけてみる。
このベンチに座るときだけの「秘密の関係」

同じ会社の別の部署で働く二人は、晴れている日はほぼ毎日ここでランチを共にするそうだ。利用するのは、だいたい同じこのベンチ。というのも、二人にとっては一番都合の良い場所にあるからだ。「会社の人がよく行き来するあそこのコンビニから、あまり見えないんですよ、このベンチ。実は、会社では私たちが仲いいの、秘密なんです(笑)」。
二人は、後輩の女性が仕事の相談をしたことがきっかけで仲良くなった。会社ではよそよそしく振る舞い、このベンチに来たら、何でも話す「秘密の関係」。ここで、家庭のことや仕事のことなど、互いに発散し合うという。
ーお互いにとってどんな存在なんですか?
後輩:「ん〜そうですね、あたしとはタイプが違うんですよね」
先輩:「タイプ違うかな?(笑)あ、まぁ一回りくらい年も離れてるしね」
ーお姉さんみたいな感じですか?
後輩:「そんな感じです。いろんな話し聴いてもらったり」
先輩:「それはお互い様やな。ここじゃお互い言いっ放しやもんね(笑)」
後輩:「まぁ確かにそうですね(笑)」
自然な会話から滲み出る二人の関係性。そこには先輩後輩の緊張感はなく、なんとも言えない空気が纏っていた。
休憩の時間も終わりに近づいた頃、後輩の方が「実は転職が決まってて、4月には辞める予定なんです」と教えてくれた。あともう少ししたら、このベンチで二人がランチをすることはなくなってしまうのだろうが、二人を見ていると、きっとどこかのベンチに変わるだけなんだと思った。
「自由に、お座りください」
その後、調べていた桃谷商店街を目指して街を歩く。穏やかな賑を見せる商店街の入口から、この地域の人々の日常を垣間見た。

桃谷駅前商店街から始まり、4つの商店街が続く長いアーケードでは、様々な種類の店が軒を連ねる。活気ある商店街は、アーケードを奥に進むにつれて少しずつ横幅も狭くなっていく。人影もまばらになったあたりで、ちらほらと置かれたパイプ椅子を見つけた。この場所に置いた人は、どんなことを想像し、何を考えてここに決めたのだろうか。


正面には背の高い緑が植えられた鉢が並び、背後には化粧品店、そして斜め前には靴屋がある。ここに座って生まれる会話が、なんとなく想像できてしまうのが不思議だ。
「この前ここで買ったスキンケア、あれオススメやで」
「そうなん、なんて名前?」
「〇〇」
「あぁ。それあたしもつこてるで、半年前からな。それよりあそこの靴、安いで。しらんけど」
「なんぼや?」
「ちょっと値段見えへんわ」
「安い言うたやん」
「しらんけど言うたで」
「ほなもうちょいしたら、見に行こか」
こんな具合だろうか。
置いた人はもしかすると、同じ想像をした…かもしれない。

桃谷商店街を抜けて、次は鶴橋の方へと向かった。鶴橋駅の駐輪場近くにあるペプシのベンチ。6台ほどの自販機に挟まれたベンチは、圧迫感があり、座るのに躊躇する。だがおそらく、一度座ると個室のように居心地が良く、動き出せなくなるタイプのベンチだ。食べ歩きや買い物を満喫した10代の若者が、電車に乗って帰る前にこのベンチで過ごす。そんなこともあるだろう。
「ちょっと待って!今日二人で写真撮ってへんやん!」
「ほんまやん!それはやばい。とりあえずここで座って撮ろや」
「あ、それよりBTSの昨日のインスタ投稿、やばかってんけど!」
「あー見た!めっちゃかっこよかったよなあ〜」
「今度のライブいつやるんやろ」
「ほんまにそれな。まじで待ちきれへんねんけど!」
仲が良い友達とは、どこで話しても楽しいものだ。目の前にあったベンチに腰掛けて始まった二人の会話は、きっとまだまだ終わらない。これは全くの想像であるけど、これまでに、こんな会話があった可能性は高いと思う。 ベンチを置いた人がいれば、それを使う人もいる。しかし、誰がどんな思いでベンチを置いたにしても、ベンチの役割は、使う人次第だ。
座ってもらえない。それもいい。
時刻は午後3時頃。鶴橋をぶらっと歩いている時、どうしても、もう一度見に行きたいベンチがあった。場所は寺田町から桃谷までのガード下。ある花屋にあった、古いベンチだ。来た道を引き返して、その場所まで戻る。

くすみきった赤色の、コカ・コーラのベンチ。足は4つとも千切れていて、人が座れるような状態ではない。ボロボロのベンチの上には、鉢物が置かれている。このベンチは、一体どこからきたのだろう。店主に聞くと、自販機メーカーからの貰い物だという。花屋であるから、このベンチは最初から「花の展示用」。時々座る人もいるそうだが、水がかかって傷みきったベンチだから、「座らないように」と言うそう。「座るため」じゃなく、「商品を売るため」にあるベンチ。このベンチは今までどんな人に、どんな花を販売してきたのか。どんな人が”間違って”腰掛けたのか。
店主:「このベンチもな、もう処分しよう言うててん。今でも時々座る人がおるからなぁ。やっぱり足がないから、危ないやん?やから座らんように、必ず鉢植え置くようにしてるねん(笑)」
ボロボロで、座ってもらえない。水がかかって、足が腐っている。一見、かなり可哀想だ。だがこのベンチの上では、いつも誰かと誰かが言葉を交わしているのだろう。興味深そうに触ったり、間違って座ったり、またそこで、会話が生まれたり。想像してみると、なんだかとても賑やかで、「あぁ、こんなベンチがあってもいいよね」と思う。このベンチはあとどれくらい、ここで花屋として働くのだろうか。

誰かが置いて、誰かが使う。ベンチの上で交わされるやり取りは、なんでもない日常。JR寺田町駅から知らない街を歩いて、ここの人々の「なんでもない日常」に少しだけ触れられた気がした。帰りはJR桃谷駅から。たった半日ほどの時間だったが、帰る頃にはほんの少しだけ「馴染ある場所」になっていた。
まちにベンチを置くプロジェクトに取り組む吉田哲さん(大阪工業大学教授)からコメントをいただきました。
ひとむかしまえ。ジベタリアンと煙たがられ、そこでさわぐなと追い立てられた中高生たちがいた。他に居る場所、居てもよい場所がなかったのか、見つからなかったか。夜のコンビニ前にたむろっては、そう、地べたに座っていた。
すわりたいところにすわらせろ、すわりたいんだ、そこで話させろ、はタマシイの叫びだったのかもしれない。
まちの通り沿いには座る場所が、ある時期までは至るところにあったはずだ。昭和も末か、平成か、通り沿いに置かれたあれこれは撤去され、まちは一旦キレイに片付いたのかもしれない。”守(も)り”をする人がいなければベンチはそこにあり続けないのだが、そうした昭和な人が減っていったのかもしれない。
ただ。やっぱりそこにすわりたい、歩いてつかれたのですわらしてくれ、ちょっとでいいから話させてくれ、は、ひとのいるまちには必須のアイテムなのだろう。繁華街の目抜き通りに、裏通り、そして願わくば住宅街にまで。ベンチは、これの守りをするひと・しくみとともにあらたに根付き始めようとしているのである。
ここで報告されたベンチはどうやら昭和の頃からの長き年月を生き延びたツワモノたちのようである。公園に置かれたものから、討たれたモノノフのような姿を見せるもの、自販機にはさまれたものまで、それこそこのまちに集ういろんな人のお話を聞いてきたことだろう。
さあ。あなたの目にするそのベンチはどんな昭和・平成史をたどってきたのか、そして令和史をたどっていくのだろうか。想像めぐらせてしてみるのもたのし、ですよ。
吉田哲
大阪工業大学建築学科教授・「とまり木休憩所・おでかけベンチ協働プロジェクト」アドバイザー