かやくご飯とわたし  〜道頓堀の食堂で~

いのちのこと

文:古市麻依(大阪府民ボランティアライター)

道頓堀のはずれにあるそのお店はいつも混んでいました。昼休みに店の戸を引くとちょうどこちらを向いて座る人が見えます。順番待ちの人です。

ー待たせてごめんね

ー席があいたからすぐ片付けますね

そう言われて、笑顔でうなずく人や気にしてないですよと身振りする人などそれぞれですが、みなさん気分よく座っているように見えました。

私は40代で転職を決意し、この6月からWEB関係の学校に通っていました。家事との両立、新しい人間関係、若くない頭に新しいことを叩き込む作業、毎日持ち歩く教材の重さに心も体も疲れがたまっていたと思います。1ヶ月が経って弱音を吐きたいなと思う頃、クラスメイトも同じ気持ちでした。急に距離が縮まったクラスメイトとランチに行ったのがこのお店です。

「かやくごはんの美味しい店がある、でも並んでいて入れなかった」

というところまでがクラスで聞いた話でした。

ーお二人ですか?こちらにどうぞ

植木に半分は隠れている店の引き戸を思い切って開けるとおばさんが席に案内してくれました。4人ほど座れる大テーブルが2つあり、そのうちの1つに相席する形で座りました。あとになってわかるのですが、昼休みの時間に待たずに入れたのはこのときだけでした。

全体的にこぢんまりとしている店内。この木のテーブルや椅子はいつから使われているんだろう。元の色は想像できなくて、店の歴史が塗り重なって今の色になったようでした。ここにあるものはみな同じ時間を共有するあいだに互いに帳尻が合うように示し合わせたのでしょう、店にはとても統一感がありました。壁にかかった今年のカレンダーだけが不自然に白く浮いています。

隣の大テーブルでは白髪の男性が煮魚を丁寧に箸でつつき、キャップをかぶった青年は手を合わせ「いただきます」と小さく口にしました。静かでした。

私たちはひそひそ声でメニューの相談を交わしました。ランチは定食になっておらず、単品でそれぞれ注文するようです。

名物のかやくごはんに魚やおつゆを選んで定食にすればいいのか。店員さんに副菜のおすすめを聞き、茄子の丸煮とかぼちゃの煮物を勧めていただきました。

ー茄子の丸煮はわたしが好きなんです

わざわざ戻ってこられた店員さんが控えめに付け加えました。その行動がとても温かく感じられ、自分の肌にまとわりついていた冷たい空気が皮膚の温度と同じまで温まったように感じました。可愛らしい方だなぁ。

見渡す限り厨房もホールも店員の方はみなさん女性でした。私の親くらいの世代でしょうか。わたしは嬉しくなりました。自分が年を重ねたときに活躍できる場所がある未来を想像していたのです。

ー持ち帰りできる?2つ、かやくごはん

 ほな、また後で取りにくるわ

スーツをきたビジネスマンでしょうか、持ち帰りの注文をして去っていきます。

ーこの英語のメニューありがとうね

ーなかなかいいやろ、このメニュー、またなおしたいとこあったらいつでも言ってな

どういう関係なのか、男性が会計をしながらそう会話をしています。

ー〇〇市?えらい遠くから来てくれたんやね、ありがとうね

作業服を着た男性が、魚2皿にいくつも並べた小鉢、おかわりしたかやくごはんもすべて平らげ、爪楊枝をくわえながらお会計をして無言で去っていきました。

お客さんとの会話がほとんど聞こえる小さな店内。会話に耳を傾けるたびに店員のみなさんがほんとうに長い間、店を訪れる街の人たちを静かに支えてこられてきた姿を感じていました。

何度かお店を訪れる中で、女性の店主さんと一度だけ話をする機会がありました。
私がこのお店の最年長なんですよ。お店が忙しく、家に帰ったら寝るだけ。ここで働くメンバーが1人でも欠けたらお店は回らない。そう言いながら手元では椎茸を切る作業が続いていました。朝は6時から仕込みが始まります。こんなに丁寧に仕込まれた料理がおいしくないはずがない。でもお客さんに届いているのはそれだけではない。お店の方の誠実な思いは心地よくいつも店の中を満たしていました。会話だったり気遣いだったり料理の味だったり、誠実さはそのすべてから感じとることができました。

色も音も道頓堀にあるものとは対照的で、空気が静寂としている店内。私は昼休みにいつも安心して心を任せていました。ここを訪れるお客さんは静かに食事をとって、また道頓堀の街に戻っていきます。お店の力は、訪れた人を巡って道頓堀の街のいのちをそっと循環しているように感じました。街を巡りぐるぐると循環している。そんな様子を想像してわたしはまた嬉しくなりました。

ー小銭あります

チェーンウォレットの小銭を探りながら私がいうと、助かるわ、と言っておばさんはにこにこ笑って両手を胸の高さで合わせて待ってくれています。その手にすべての小銭を広げると、必要な分だけ取って、同じように両手を合わせたわたしの手に残りを返してくれました。

そのまま出口まで見送られ、またきてね、と言われました。

私はそのとおり翌日の昼休みもお店をまた訪れたのでした。