心もお腹もあったまる 昔ながらの石切参道商店街へ

いのちのこと

文:杉浦里音(大阪府民ボランティアライター)

いつかの冬の日、大学からの帰りみち、ふと和菓子屋さんの前で立ち止まった。いつも通り過ぎるだけだったが、その日は、あんこ気分だった。おはぎ、大福、桜もち。どれにしようか。悩んだ末、桜もちを1つだけ。「おおきにね、オマケ入れといたから」お店のおばあちゃんの笑顔に、1つだけしか買わなかったことが申し訳なく思えた。

家で袋の中を見ると、悩んでいた3つの和菓子が並んでいた。購入した数より多いオマケに笑みがこぼれた。それからその和菓子屋さんの常連に。特別な会話は無くとも「今日も寒いねぇ」「おおきにね」といった声かけに心がほっこりとする。そんな人情味溢れるやりとりは人と人とのつながりを実感させてくれる。

触れた手と手で会話する

「ほかの商店街でも、こんなやりとりができるかな」。そう思って、2月のある日、ひとりで近場旅に出た。目的地は近鉄新石切駅。駅を出て、すぐ目の前には大きな鳥居があった。

平日の午後3時過ぎ。小学生たちの帰宅時間と重なった。新石切駅から坂を下っていく。大阪の景色が一望でき、眺めのよさに自然と歩く速度がゆるまった。

道路わきには、小さな祠に手を合わせる小学生の女の子2人組。大学生活はいつも慌ただしく、いつしか地元の祠に手を合わせなくなった自分に気づく。

石切参道商店街が近づいてきた。お土産屋さんのお店の人が「あったかいお茶ありますよ」と声をかけてくれた。「試食もいっぱいあるから、ゆっくり食べてって」と言ってくれたので、よもぎもちを試食した。つぶあんが美味しい。祖母の好物のよもぎもちと道明寺といちご大福を買う。「ありがとうね、おおきにね」と私の目を見て、手でおつりを渡してくれた。あたたかい手の温もりにどきりとした。いい意味で違和感を覚えた。最近は自動レジが多くなった。コロナ以降おつりを置いておかれることも増えた。互いの目を見ながらお礼を言い合う文化が、なくならないでほしいと思った。

石切神社に向かう道すがら、占い屋さんの数がとても多いことに気づいた。都会に比べるとお値段も安い。次回は友人と一緒に来て恋愛や将来のことについて占ってもらうのもいいかもしれない。

神社に着くと同時に、はらはらと雪が降ってきた。一気に寒くなり震える。お賽銭を入れて、お参りをしようとしたものの神社の鐘が鳴らなくてうろたえてしまった。1人だとこういう時に「鐘鳴らないねんけど!」と笑い合う相手がいなくて、さみしい。

心にしみしみおでん

凍える手をポケットにつっこみ神社を出ると、もくもくと湯気が上がるおでんが目に入った。何かあたたかい物を食べたい、という思いが強くなった。

ガラガラと店の引き戸を開け、「すみません、おでんって店内で食べられますか」とたずねた。演歌の流れる店内は、カウンターとテーブル席が2つ。女将が「どうぞ」と笑顔で答えてくれた。
カウンター席に着くと、おでん3種盛りを頼む。今日のチョイスは、卵とこんにゃくと大根。漂うおでんの出汁の香りに、自分が空腹だったことに気づかされた。

「お待ちどうさま」と運ばれたおでんは、見るからに味が染みていそうだった。小さな声で、いただきますと口にする。だいこんを箸で崩すと、中までしみしみだった。フーフーしながら頬張る。口の中でだいこんの繊維がほろりと解けた。じんわり沁みる美味さだった。食レポしながら味わっている自分の姿を、ふと俯瞰する。「これが女子大生の孤独のグルメか…」と独りごちた。 

他のお客さんたちも皆、おでんを頼んでいた。隣に座っていた若い女の子2人組はとても悩みながら、卵とこんにゃくと大根を選んだ。私と全く同じで少し嬉しくなった。親子はおでんのメニューを見て、「どれにする?一緒に分け合おうよ」と笑いあっていた。おだやかな時間が流れ、冬のおでんはすごい力を持っているのだと思った。

帰り道はもらったあったかさと、ちょっとのさみしさ

店を出る頃には、辺りは少し薄暗くなっていた。見上げると、すでに雪は止んでいた。帰り道は上り坂なので少し気が重い。初めに訪れたお土産屋さんも店じまいをするところだった。通りを行く人の少なくなった商店街は少しさびしく感じられた。

石切参道商店街を訪れてみると、時の流れがゆっくりと過ぎていくようで心地よかった。せわしない日々の中で、昔と変わらない街並みや、商店街の人々の生活に触れることによって自然体の自分でいられる。
就職活動に追われ、「自分らしくがんばりたい」と気を張り過ぎていたことに気づいた。
ここでは、素の自分でいてもいいと言ってくれているようだった。

帰りの電車は夢洲行きだった。前に乗った時はコスモスクエア止まりだったのに。ネットや新聞で万博のニュースを目にしても、まだ遠いことのように感じていた。すでに路線は伸び、準備は整っていた。万博が近づいていることを急に実感して、ワクワクしてきた。