山とまちを繋ぐ 〜製材所インタビュー〜

森のこと

私たちの暮らしの中にある、木の家具や道具、建築物など。山から切り出された丸太からその材料となる木材を作っているのが製材所だ。まちに住む私たちにとって、普段あまり関わることのない製材所。どんなことをして、どんなことを想っているのか。当プロジェクトに関わる2つの製材所それぞれにお話を伺った。
文:桂 知秋(想うベンチ編集部)

生き物だからこそ、1ミリが勝負【松葉善製材所

何年やっても難しい。

林業が盛んな街として栄えた父鬼町にある、松葉善製材所。和泉山脈の麓で昭和10年から続く製材所だ。工務店や大工、施主の方から直接注文をもらうこともあるそうだが、多くの取引は材木屋から。注文をもらってから原木市場で木を仕入れ、それを製材して届けている。

松葉善製材所
木材が積み上げられ、木の香りが立ち込める。

松葉さん

「製材所」と一言で言っても、規模もさまざま。オートメーション化していて大量生産できるような大きなところもありますが、うちみたいな小さな製材所は、とにかく一本の丸太から、いかに歩留まり良く、良い材をとれるかが勝負です。大袈裟に言えば原木(丸太)を4回鋸(のこ)入れをすれば四角の木材になるんですね。だけど僕たちは反りや曲がり、節や傷の有無などその木の様子を少しずつ見ながら何度も鋸入れの回数を重ねて製材していきます。木は1ミリ、2ミリ削るだけで節が出てしまったり、木目もぐっと変わるんです。「オーダーメイドに近い製材を」ということをずっと大事にしていて。だから1ミリ、2ミリの違いにもこだわりを持って丁寧に製材しています。

樹は立っていた場所によっても癖がある、と松葉さん。癖を見極めながら緻密に製材していくのは経験を積んでも難しいそう。

松葉さん

傾斜地に立っていた樹は倒れまいと踏ん張って立っていたから、斜面下側が筋肉痛のように繊維が凝り固まっているんです。僕たちはそれを「あて」と呼んでいるのですが、原木の「あて」がある部分は真っ直ぐに鋸を挽いても繊維がこわばっているので切れたそばから曲がってきてしまう。木は自然のものなので一本一本に個性があるから、狙った材が取れるなと思って製材し始めても、思わぬところから傷が出てきたり、思い通りにいかない事も多々あります。でもそれがやっぱり木が生きていた証だとも思う。50年以上製材業をしてきた父親でも、いまだに「木は分からんな」と時々言うんですよね。でもそれが自然と向き合う製材業のおもしろさだと思っています。

「想うベンチ」の材料を製材しているところ。50センチもある直径の丸太を、ミリ単位での調整をしながら製材していく。

「製材した木の下に水溜りが。ああ、生きてたんだなあって」(松葉さん)

材の取り方や仕上げ方も人によって違うからこそ、「人の顔が見える仕事がしたい」と松葉さんはいう。

松葉さん

僕は製材という仕事に就いて20年経ちますが、今でも父とは木取りの見解の違いで喧嘩するくらい(笑)。いかに原木を最大限に活かした木取りで製材できるか、割れがこないように、反り曲がりが少ないように、乾燥させて最後まできっちり仕上げられるか、が製材所の腕の見せ所。製材所によって、また製材する人によって、原木や木材に対する考えや姿勢にそれぞれ個性が出てくるものだと僕は思っています。建物や商品になってしまえばわからないようなことなんですけどね(笑)。大工さんに「松葉善製材所の材は使いやすいな」と思ってもらえたら嬉しい。

日々、木を見ていて、生き物なんだなあって感じることがあるんですね。例えば、伐採したての原木は生きる・育つための水分をたくさん含んでいます。そんな原木から製材した木材を立てかけて置いておくと、しばらくしたらその木材の足元に透明の水溜りができていることがあるんです。それを見ると、「ああ、生きてたんだな」って。長い年月をかけてここまで大きく育って、製材されて、誰かに使ってもらえる形になる。命というと大袈裟ですが、そこに携われているのはありがたいと思うし、だからこそできるだけいい形で渡していきたいという想いは強いです。

暮らしの中で使っているものと、目の前の山は繋がっている。

主に大阪や奈良の材を仕入れている松葉善製材所。国産材を使うのはどんな想いからなのか。

松葉さん

「日本の木を使え」というのが僕の祖父の代からの教えで。祖父はもともと山を持っていたので、自分の山の木を使うのは当然というのが大きかったと思いますが、自分たちのところだけがうまく回っていたらいい、という考えではなかった。国産材を使うことで山にお金が回るのもとても大事なんです。

例えば「あの山の奥に良質な樹がたくさん立っている」と分かっていたとしても、伐採しに行けない、というジレンマがいま日本中の山々で起きています。林業家さんたちがその山奥まで林道を切り開いて木を伐り出しても、林業家さん、山の地主さんたちは結局赤字になることがある。そうなると良質の木は出てこなくなるし、手入れが行き届かなければ木々は密集して光が差し込まず、地中に根をしっかりと張れない弱い山が増えていく。いずれ土砂災害が増えたり自然環境にとってもいい状態ではなくなっていく可能性もあります。

そうならないためには国産材の需要が増え、山や木への関心が増えること。僕たち製材所で働くものとして、国産材の魅力やそれらを使う意義を感じてもらう機会をもっと増やしたい。その結果、良材が伐り出され、いい木材を製材できる。いい木材をお届けできれば国産材の需要が増え価値が上がり、山までお金が回る。すると手入れが行き届いて木々がすくすく育つ自然環境の山々が保たれる。この好循環が大事なんじゃないかと思っています。

松葉善製材所のすぐそばの清流

松葉さん

「木はいいよね」という感覚は多かれ少なかれみなさん持ってくださっていると思うのですが、国産材か外国産材か、というのはあんまり意識されてないかもしれません。僕個人としては、地産地消だけにこだわっているわけではないですが、自分たちが暮らしの中で使っているものと、目の前にある山って、実は繋がっている。だからどうせなら、国産材の木を使うことで、それが自分の身近な山や自然の環境が良くなることに繋がるんだ、という感覚をみなさんに少しでも感じてもらえるといいなと。自分も木材以外では暮らしの中でそんな意識を持ててるわけではないとは思っているので、あくまで個人的な希望なんですが、そんなことを想いながらこれからもやっていきたいと思っています。

「想うベンチ」デザイナーの松井さん(左)と制作担当の服部さん(真ん中)と、模型をもとに木のあばれをどう受け止めるか検討中。

木というなりわいを軸に「暮らし」を考え続ける【田中製材所 】

製材の原風景とともに。

南河内郡太子町、ゆるやかに続く山へ向かう坂道、住宅が並ぶ細い道にふいに現れる「森田製材所」と書かれた工場がある。田中さんが「タリモール」と呼ぶ拠点場所だ。

田中さん

僕の曽祖父が創業した頃から代々続いていた製材所はなくなってしまったんです。家業として製材に関わることをずっとやらせてもらっているけど、時代とともに木材の需要が低下していく中で、業態も変化しながらやってきていました。でもここ、森田製材所さんが後継もいないし閉めようかなあっておっしゃっているのを聞いて、一緒にやらせてもらえないか、って声をかけさせてもらったんです。小さい頃見ていた、製材をやっている原風景が好きだったんですよね。なくしたらあかん、って思って。工房を探していた木工仲間も一緒にリノベーションしてそんな彼らとともに、今はここを拠点に活動しています。

田中製材所は製材の事業以外も、リノベーション会社からオーダーを受け、世界中の木からセレクトしてフローリングや天井材、窓枠をつくったり、塗料を販売したりもしているそう。

田中さん

丸太のまんまって使いにくいですよね。だからそこには製材という行為が必要で、それがないと人の手に届きにくい。そういう意味で重要なポジションだとも思っているけど、あくまで製材ってファンクションの一つだと思っていて。だから僕たちがやりたいのはそれだけじゃない。

「タリモール」。奥には木工作家の工房がある。

山の恵みを活かす技術や知恵を分かち合いたい。

変化する時代の中で、「木を見て森を見ず」のようなやり方では立ち行かなくなってきていると感じているからこそ、今までとは違うあり方を模索しているという田中さん。そこには「暮らし」が根底にある。

田中さん

僕らの営みって、昔からある非工業的な営みだと思ってます。効率的というよりは、暮らしに寄り添ってるというか。今までは人口も増えていく中で、工業化した動き方が多分よかった。でも、もっと根源的で、なんかそこを楽しむというか、知ってもらうというか、そういうことも考えています。

具体的にまだまだ動けていないのですが、例えば太子町で地域内循環がつくれないかなと。まちと必ず同じインフラが必要なわけじゃないと思うんです。その地域の人たちがしたい暮らしがあって、まずはその話を聞いて、自分にできることはなんだろうって考えたい。僕の場合、木を軸にしてるから、衣食住の暮らしの中だと、木のお皿を作れるとか、味噌樽だって木から作るわけで。木って人の営みに絶対関わってくるから。

「製材」という枠で捉えるのではなく、木を軸にしたハブのような存在。そんな田中製材所は都会と山を繋ぐ役割を担うことも多いそう。

田中さん

まだまだ街中の人は木を仕入れるのってスーパーで魚の切り身を買うような感覚の人はたくさんいるんですね。山側の人間からすると、魚を捕まえて、捌いて、刺身にするような工程があるんですけど、その時間軸が擦り合わないことがあるから、間に入って話をする役割は多いかもしれない。都市部の人たちがいきなり山のことを全部理解するのは難しくて当たり前なんです。ただ接点はつくっておいたほうがいいんじゃないかなと思ってるんです。人それぞれのグラデーションがあっていいけど、一緒に接点を見つけませんか?っていうスタンスです。なんかそこは山とまちの中間領域にいる自分たちだからできるのかもしれないなって。

田中さんが木を軸にしているように、接点を持つ人たちそれぞれの引き継いできたものをお互い分かち合う。そんな関係性を大事にしたいという。

田中さん

お声がけいただくのはうれしいけど、いきなり「こんな材を用意してください」と言われるような関係ではなくて、「こんなこと考えてる」「じゃあこんなことできるんちゃうかな」って話せる関係性をまずは作りたい。そうすれば少なくとも「なんかこんなこと言うてたな」って思ってもらえるじゃないですか。そこからなにか発露があるかもしれない。それってすごく大きいと思ってて。山の恵みを活かす技術や知恵が製材所にはある。それをいろんな人と分かち合いたい。そんなふうに思っています。

「想うベンチ」デザイナーの佐野さん(左)と辰野さん(右)に木の話をする田中さん(真ん中)