ふかふかの土、「◯年生」の木々。 〜想うライター、森へ行く〜

森のこと

「大阪の木材を使ってベンチをつくる」から始まった「想うベンチ ―いのちの循環―」プロジェクト。生きること、暮らすことへの「想う」で集まった「想うライター」の皆さんは、住む、働く、学校に通う——さまざまなかたちで大阪で過ごしているものの、「大阪の森」「大阪の木材」と聞いてもいまいち“遠い”存在と話します。せっかく「想う」でつながったご縁もあり、プロジェクトメンバーの大阪府森林組合・堀切さんが「大阪の木材」を育てる「大阪の森」へ連れて行ってくださいました。

文:大森 ちはる(想うベンチ編集部)

“木の赤ちゃん”から100年生まで。つなげていく時間軸を想う。

関連記事「”大阪の森”の過去、現在、未来。」より引用

大阪平野をぐるりと囲むように連なる山々。じつは、大阪府の面積の3分の1は森林なのだそう。この日は地図の右下、河内長野市の金剛山系の森を訪れました。

澄んだ空気を味わいたくて、大きく深呼吸する想うライターも。

南海電鉄・河内長野駅から車で15分ほどの私有林。駅で待ち合わせたときは「12月なのに今日は陽があって暖かいね」などと話していたのに、森の入り口で車を降りると、しんと静まった冷たい空気が頬をさします。

まわりを取り囲む木と比べて「この木があんなに大きく?」の声も。

森の入り口の陽当たりのいい場所に、若い芽をわさわさとつけた勢いのいい枝のようなものが植えられていました。堀切さんに尋ねると「3年生くらいの木です」。木の赤ちゃん! ひとが年齢を「◯歳」と数えるように、木は樹齢を「◯年生」と呼ぶのだそう。

ふだん公園に行っても見上げることのない高さの木々。

3年生の木のすぐそばに立つ、大きく育った木。堀切さんに「何年生くらいだと思います?」と聞かれて想うライター陣がしばらく考えたのちに「50年?」と答えると、「これはね、おおよそ100年生。10年に1回ほど間伐や枝打ち(余分な枝を切って落とす作業)をしながら、節のない“良い木”を育てていくんです」。おじいちゃんが植えて、お父さんが育てて、孫が木材として切り出す——世代をまたぐ林業のタイムスパンに触れて、一同声が出なくなった瞬間でした。

森林浴をしながら、奥へ進みます。この日訪れたのは、山主(山の所有者)さんからの許可を得て、特別に見学させていただいた山。「南河内の人工林はスギやヒノキがメインで、300年ほどの歴史があります。和歌山や奈良県吉野と同じような気候、林業の性質をもっていて、材質的にも優良材なんですよ。大阪城の建築にも南河内の木材が使われたと文献に残っています」(堀切さん)。

わさわさと茂る地面に、想うライターからは「もののけ姫の世界みたい」の声。

山の斜面に整然と並ぶ木々を見上げていると、「定期的に間伐(一部の木を伐採して森林の密度を調節する作業)することで、陽の光が森の中に届いて木の幹や根が太く成長します。下草も育つので、雨による土砂崩れも防げるんですよ」と解説が。

360°新鮮な世界が広がる森のなかで、堀切さんの解説は展覧会の音声ガイドのよう。

林道の脇で目にした、傷ついた幹。「こうやって何かが当たった傷や動物にかじられた痕は、木が成長していくうちに皮が巻いて見た目にはわからなくなります。でも、傷が消えることはありません。切り出して製材して木口(こぐち)を見ると、傷がちゃんと出てくるんです。先ほどお話しした枝打ちも、もし下手な作業をしたらその節がずっと残って、何十年か後に切り出したときに『下手なことしよって』って言われてしまうので、作業は慎重におこないます(笑)」。堀切さんは笑っていましたが、林業の“つなげていく”時間軸の長さと重みをあらためてしみじみ感じます。

「しっとり!」「わさわさしてる!」と苔の質感をたのしむ想うライター陣。

山主さんがかつて薪にでもしようと切り出されたのかしら? びっしりと苔の生えた丸太を見つけました。「部屋に置きたい」「連れて帰りたいね」と冗談を言っていたら、「んー、でもね、湿度や日光の調子ががらりと変わってしまうから、家に持って帰っても数日ももたないと思いますよ」と堀切さん。なるほど。森の環境の豊かさを感じた一幕でした。

水分を含んでいるのか、切り株もしっとりしていました。

こちらには、苔むす切り株も。「木の年輪って、四季のリズムがつくっているんですよ」。年輪の造形は、季節ごとの幹の成長速度の差が織りなすものだそうで、幹の成長がさかんな暖かい時期は色が薄くなり、あまり成長しない寒い時期は色が濃くなる。ふたつを交互に繰り返して、円の模様ができあがっていく。「この色の差によって、年輪1本が樹齢1年分と読み取れるわけです」(堀切さん)。

足を踏み込む感触さえ、新鮮で楽しい。

木々の足元は、ふかふかの土。公園の芝生とも、家庭菜園の踏みならされた土ともちがう感触を存分に味わって、森をあとにしました。

「人間も自然の一部なんだな」(想うライター 木村綾賀さん)

まず、河内長野の街中から森までの近さに驚きました。車で15分、こんなに暮らしに近いところに林業というなりわいがあるのかと。森のなかは空気が良くて落ち着く場所で、鳥のさえずりと小川の流れる音を聴きながら、人間も自然の一部なんだなと思いながら歩きました。

「節なしの木を100年かけて育てる」という話を聞いたことはありましたが、実際に100年生の木を目の前にして聞くと、はたして自分にはできるだろうか……と考え込んでしまいました。