【デザイナーメンバー】
佐野 文彦
建築家・美術家。1981年奈良県生まれ。京都、中村外二工務店にて数寄屋大工として弟子入り。年季明け後、設計事務所などを経て、2011年独立。2016年には文化庁文化交流使として世界16か国を歴訪するなど、様々な地域の持つ文化の新しい価値を作ることを目指し、建築、インテリア、プロダクト、インスタレーションなど、国内外で領域横断的な活動を積極的に続けている。
辰野 しずか
クリエイティブディレクター・デザイナー。1983年生まれ。ロンドンのキングストン大学プロダクト&家具科を卒業し、2011年から東京にデザイン事務所を設立。物事に潜む可能性を探り、昇華して可視化することを強みに、実用的な道具や情緒的なオブジェなどを創造する。活動は従来の枠組みを超え、プロダクトデザインを中心に、アートディレクション、フードデザインや、アート製作など多岐に渡る。
松井 貴
1970年生まれ、大阪府出身。大阪で家具の製造・販売、プロダクトデザインなどを行うgrafの取締役、プロダクトデザイナー。 実家が下町の商店街で靴屋を営み、父親は靴職人という環境で育つ。建築設計事務所やインテリアショップでのアンティーク家具リペア担当などを経て、1998年に友人たちとgrafの活動をスタート。家具やプロダクトを中心としたデザインを担当している。
【ご案内してくださった方】
大阪府森林組合
常務理事 兼 南河内支店長
堀切 修平さん
1967年 大阪府河内長野市生まれ、大阪の森林組合系統に勤務して30年。森林組合職員である一方で、先代から所有森林を引き継いだ森林所有者でもある。近年、地域の木材「おおさか河内材」の販売やPRの業務に精力的に取り組む。
「100年生きてきた時間を何に置き換えるべきなんだろう」(佐野)
河内長野の街中から車を走らせること約15分、あっという間に山への入り口にたどり着きました。そこから一気に景色は緑一色、山を上がっていくと林道の入り口に到着。ここから徒歩で森を案内していただきます。
ゴールデンウィーク真っ只中、半袖がちょうどいいくらいの季節でしたが、森に入ると空気は冷んやり。深夜までの雨があがり、森にはすこし日が差してきました。「きらきらしていてきれいですね」と辰野さん。
「大阪の森林面積は都道府県別だと最下位というくらい少ないのですが、その中でここ南河内地域には豊かな森林が広がっています。スギやヒノキの人工林は大阪の南部ではこの南河内から和泉市にかけてがメイン。大阪城の建築にもこの辺りの樹が使われているという文献もあり、300年の歴史があると言われています」と堀切さん。
河内ではスギやヒノキを密に植林し、間伐しながら育てていく手法。林道を取り囲むように並ぶスギやヒノキは、どれも空に向かってまっすぐに伸びています。その下で人間の背丈くらいの草木も茂っていました。堀切さんいわく「ここの所有者は山づくりに非常に熱心な方で、間伐が適度にされているので、太陽の光が入るんです。すると下草が育って雨が降っても土砂の流出が起きにくい。お手本のような山です」。
「世の中の人が節を美しいと思えば違った世界になるのかな」(辰野)
みんなが樹を見上げていると、「あのちょっと太い樹でだいたい100年前後かな」という堀切さんの声。「あれで100年かかるのかあ」という声がメンバーから漏れます。堀切さんはさらに続けます。「あれで高さ25mくらいかな。若木のうちから一本ずつ、はしごをかけて手作業で枝打ちします。枝打ちしない樹は節が多くなるんです。節の多い木は価格が低くなるのでなるべく枝打ちするのですが、それでも材木に曳いて節のないものは2割ほど。節が多かったり、曲りや腐りのある材は、木材チップになったりします」。
それを聞いた佐野さん、「100年生きていた木をチップにしました、というのはやっぱりあまりにも切ない。時間を何に置き換えるべきなんだろう…」とぽつり。辰野さんからは「世の中の人が節を美しいと思えば、違った世界になるのかな」という声も聞こえてきました。
そして今や、節のない“無地”と言われる材も需要が減ってきていると堀切さんは言う。「昔の家だと大黒柱やハレの場には節なしの柱や梁を使っていたのですが、最近はそんな家をほとんど建てない。せっかく枝打ちして労力かけても需要がないと値段が上がらない、儲けにならない。それも現在の林業や山の所有者が抱えている問題です」。山を降りながら堀切さん、「大事に手入れした樹を切り出して、喜んで使ってもらう。単純なことやけど、それが僕らは一番嬉しいんやけどなあ」とつぶやいていました。
「樹と人との関係を考えていきたい」(松井)
山の見学を終え、次に向かったのは南河内郡千早赤阪村にある原木市場。大阪府内で唯一の国産材原木市場で、主に南河内・泉州地域の森林から伐採・搬出される木材の流通拠点です。毎月1、2回開催される競り市では100から400㎥の丸太が並びます。
競り市は見学できませんでしたが、現地にはスギ・ヒノキなどの丸太の山が。間近で年輪を見たり、香りをかいだり、触ってみたり。全員が丸太をじっくり観察していました。
1日かけて、大阪の森を感じ、現状も伺ったデザイナーメンバー。今日感じたことを最後にお互いシェアしました。
佐野
「樹って悪いものと思っている人はいない。みんな気持ちとしてはポジティブなのに樹に興味がない。生き物だからひとつひとつが違う。そういう生き物としての価値を考える必要があるのでは」
辰野
「私も今日、森で25年生きた樹を見て、自分より若いんだなって。その樹の10年後を見たいと思ったし、50年の時間も重く感じました。それを捨てられないですよ。木を大事にしよう、というすごくシンプルなことを感じました」
松井
「ほんとにそう。でも現実では、同じ時間だけ生きた樹なのに山が違えば価値が変わったりもするんですよね。人間って勝手やなと。僕は樹と人の関係を考えていきたい」
服部
「デザインって付加価値と言われることもあるけれど、そうじゃなくて価値再生をどうするかを考えることがこのプロジェクトの大事なところなんじゃないかと。意義に引っ張られすぎるのも違うけど、そういうことも考えながらこのプロジェクトを進めていきたいですよね」
万博開催まであと1年。どんなベンチをデザインするか、各々が今日感じた「想い」も大事にしながら進めていきます。